8月初旬にアレクサンダー・ガジェヴ氏のマスタークラスに参加した。(ガジェヴ氏から「アレックス」と呼ぶようにと言われたので、以下彼を「アレックス」と記す)僕はそこでイタリア人が持つ歌心に刺激された。アレックスだけでなく、どんな生徒でもフレーズに長い歌があり、自然な音楽の流れ、まさに<ベルカント>が存在していた。普段日本ではなかなかこのお洒落なフレージングに触れることは少ないので、その美しさに改めて魅了された。
レッスンでは、まだ若いアレックスが今までの人生の中で懸命に培った音楽への理解やセンスが生徒にあますことなく伝えられ、受講生の音楽がさらに興味深くなっていくものであった。特筆すべきなのは、その音楽的アイディアを実現するために必要な膨大な種類のテクニックをアレックスが持ちあわせていたことだ。彼の両親が優れたピアノ教師ということもあってアレックスは子供の時から、どのようにピアノを扱ったら良いか、それをどのようにして人に教えるかを人一倍学んでいたと考えられる。レッスンでは生徒の問題を的確に指摘するだけでなく、生徒に寄り添って問題解決に効果的な方法を彼の経験や知識からも探り、生徒と共にその課題に取り組んでいくというとてもプラクティカルなレッスンであった。
僕は彼の前でショパンの舟歌とベートーヴェンのピアノソナタ第28番Op.101を弾いた。僕のレッスンでも、特に舟歌はさまざまな音色、推進、フレージング、ペダリングなどを用いてアレックスと対話しながらどんな面白い世界ができるのか実験したのが記憶に新しい。Op.101では自分が気がつかなかった作曲家の意図やアイディアを知ることができ、どのように後期のベートーヴェンの作品を考察していくかを勉強できた。
また、アレックスは生徒との距離がとても近く、場の空気を明るくし、結果、生徒と先生の皆が仲のよい、なごやかで楽しいマスタークラスを作りあげていた。初めは、一部の参加者は「アレクサンダー・ガジェヴは一体どんな人だろう」と緊張していたが、アレックスの優しさや気配り、話しかけやすさがその緊張を解いたように思う。レッスンが終わった後はみなでバールに行ったりピッツェリアに行ったりして、音楽談義だけでなく数学や哲学についても話したりした。アレックスは生徒の人生相談にも乗ってくれ、生徒の話を真剣に聞いて考える人だった。ある日はみんなでトリエステの海に行って泳いだのだが、僕はまさか海に行くことになるとは思っておらず水着を持っていなかった。そしたら、アレックスは僕を彼の家に呼んでくれて、彼の水着を貸してくれた。そういう優しさをもつ人だった。
ゴスラーではアリエ・ヴァルディ氏とゲリット・ツィッターバート氏のレッスンを受けた。マスタークラスの最初にヴァルディ氏から「全員分のレッスンをなるべく聴講するように」と言われた。あとで役に立つからと。
ヴァルディ氏のレッスンでは、曲と曲とのつながり、歴史の中でさまざまな曲がどのように影響しあったかが詳しく述べられ、曲の背景をベースにして曲に対してどのようなアプローチをするかを考えさせられた。生徒のレベルはとても高く、それぞれが己の解釈をもち、それが演奏できて当たり前で、さらにその上の哲学的な世界を探求するようなクラスであった。ヴァルディ氏のレッスンの特別なところは彼のアドバイスが頭によく残ることだと思う。ポイントを掴み、効果的な伝え方をするのだ。いまでも彼のアドバイスは鮮明に残っている。
ツィッターバート氏のレッスンはピアノ2台と古楽器2台を併用しながら行われた。受講生が少なかったためレッスンが7日間毎日あり、バッハからメシアンまで弾いたが、特にベートーヴェンとモーツァルトはそれぞれの時代の楽器を活かしながら学習することができ面白かった。例えば、op.101の3楽章の初めから第1楽章の第一主題に戻るまでの場面で、モダンピアノにはない本物のeine Saiteやそこからのnach und nach mehrere Saiten を味わうことができ、夢のような世界から現実に戻っていくアイディアがクリアになった。また、ツィッターバート氏は、自分の持ち合わせていなかった楽曲背景の知識や自筆譜分析などを共にしてくれたため、更なる解釈の追求ができたのだ。
そして、旅の最後には今回の学びの成果を試そうとイタリアのサンベネデットで開催された、第6回ラパルマドーロ国際ピアノコンクールにチャレンジした。演奏を振り返ってみると、総じて、今回の欧州滞在前には具有していなかったものを演奏で表現できたと感じている。同時に、新しい課題の発見と以前からの課題の再認識ができた。結果に関しては1位を受賞、史上最年少の優勝だったので、大変光栄に思い大きな励みになった。これを糧に一層精進していこうと思う。