2024/7/17~26までフランスのノアンに滞在し、「ノアン フェスティバル ショパン イン フランス」に参加しました。
このフェスティバルはイヴ・アンリ教授が主宰し、過去にチッコリーニやツィメルマンといった超一流のピアニストが演奏を行っており、2016年には50周年を迎えたフェスティバルです。
1839年から1846年まで、ノアンのジョルジュサンドの館では多くのショパンの主要作品が生まれました。彼は多くの作曲家たちとノアンで知り合い、交流していました。メンデルスゾーン、シューマン、リスト、ベルリオーズ、そしてバガニーニ、モシェレシュ、フンメル、アルカン、さらに、ワーグナーとヴェルディ、シューベルト、ベートーヴェンそしてウェーバーが彼に影響を与えました。そのサンドの館で夏の1週間の間、ショパンについての講習会や演奏会が行われるのです。
夕方着のフライトだったので1泊パリに宿泊し、パリから特急電車で3時間弱。シャトールー駅へ。そこから車で数十分、今回のフェスティバルの間宿泊するHôtel le Lion に到着しました。
車窓から見える景色は木々とひまわり畑。ノアンは長閑で美しいカントリーサイドです。
フェスティバル期間のノアンの商店街には、ショパンフェスティバルのポスターが貼られ、大型の電光掲示板で紹介されていました。フランス中からショパンのファンが集いフェスティバルを楽しんでいました。何人かの方と同じホテルだったので、レストランやお店、ホテルのロビーなどでお会いすると何かと暖かく声をかけてもらいました。
到着した翌日から公開レッスンと講習会、様々なアーティストのリサイタルが行われ、私も毎日公開レッスン生として出演しました。
沢山の聴衆の方を前にして、フランス語と、私に向けては英語でレッスンが行われました。通訳の方はおらずフランス語がわからないので、皆さんが頷いたり笑ったりする内容が知りたかったです。フランス語も学ばないと…。
当時のプレイエルピアノを弾き、同じ音を現代のモダンピアノでも再現する、という貴重なレッスンも受けました。
毎夜のリサイタルでは、今活躍している若手ピアニスト達やカルテットの演奏が聴けてとても刺激を受けました。
私自身も何度か演奏の機会がありました。
ジョルジュサンドの館の広々としたリビングに置かれた、まさに当時ショパンが愛奏していたプレイエルでミニ演奏会もさせて頂きました。
サンド邸のショパンの銅像。お花も沢山咲いていて綺麗でした。
弾く度に何度も調律を繰り返さないといけませんでしたが、まろやかな優しい音がするピアノでした。このピアノで名曲の幾つかが誕生したのだと思い、感動しながら心を込めて演奏しました。このプレイエルを耳に焼き付けようといつも以上に集中して音を辿ると、開け放たれた窓から、風にそよぐ木々のざめきと小鳥の囀りが聞こえていて、ピアノの音と共にそれも音楽だと感じました。いつも閉め切った静かな防音室にいるので、新鮮な気持ちでした。
6日目の最後の夜に、レジデンスのソリストとしてコンサートに参加させて頂きました。
サンドの館にある大きな納屋を改装して出来たホールのステージ上には、当時のプレイエルとモダンピアノのベヒシュタインが並んで置いてありました。コンサートでは一曲ごとに、交互に時代の違うこの2台のピアノで演奏しました。
弾き比べてみるのは面白く、気づきがありました。新しいベヒシュタインの能力の高さをそのままにしつつ、音質を近づける難しさ、むやみに速く弾くことの無意味さを理解出来ました。
ずっと一緒に過ごして仲良くなり、最後のコンサートもジョイントで開催したカミラちゃんは、ワルシャワのショパン音楽院の優秀なポーランド人ピアニストです。彼女にヨーロッパのコンクールや音大の事、ピアノ演奏技術や練習についてなど色々話しが出来たのはとても収穫でした。帰国した今もよく交流を続けています。ポーランドに会いに行く約束も。
帰国日にパリ市内にも寄りましたが、あいにくオリンピックの開会式と被り、ルーブルもクローズ。閉ざされた扉越しにガラスのピラミッドを眺めました。
フランスでの毎日のレッスンとコンサートはもちろん、同世代との交流、ショパンが実際に弾いていたピアノに歩いていた床、触ったドアや壁、生きていた空気を十分に感じられた経験はとても貴重で学びになりました。
フェスティバルスタッフの皆様と日本のベヒシュタインのスタッフの皆様には大変お世話になりました。改めて感謝いたします。
そしてこのような機会を助成してくださった福田靖子賞基金様に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。